●おうちママ起業を成功させるコツ①
こんにちは、子育て心理学協会 東ちひろです。
私は、11年前は岐阜県の本巣市というところの教育委員会に勤務していました。
教育委員会というのは、先生を指導する立場。
つまり、「先生の先生」ね。
教員職は、生徒指導担当者1人、教育相談担当者(わたし)1人、あとは教育長、課長、主幹の5名体制。
あとは、市役所の人が役場の立場で全市の子ども達をサポートしていました。
ただね、この教育委員会というのは、全市の小学校・中学校・特別支援学校・幼稚園・保育園・あわせて未就園児のサポートをしていたんです。
だからね、ホント私は毎日家に帰れない日々が続きました。
どこまでも仕事が続くので夜8時か9時には「ぼちぼち帰ろうかな」という状態。
そこから1時間車を走らせて帰るので家に着くのは9時半くらいかな。
でね、その頃うちの下の坊主は小学校4年生。
私が遅く帰宅すると、おそらく3時間はこのままの姿勢だろうなという状態でゲーム三昧でした。
でね、子どもは大人がそばにいないと勉強しないわけです。
それは、私が教員時代に痛いほど実感したこと。
小1の担任をした時は、『先生は熱がある日は、這ってでも教室にいないと子どもが荒れる』と実感していました
だから、親が家にいないのに子どもだけひとりで勉強しないことはわかっていました。
その頃私は、超ジレンマでした。
一応、先生になったあと教育委員会に勤務しているって・・・
鼻が高いこと(笑)
小学校に行っても校長先生に「ご指導宜しくお願いします」と言われます。
今考えると、その頃私はエライ立場にいたかっただけだとわかります。
ちなみに、この頃の私はストレスいっぱいの生活でした。
事務職なのに、きちんと椅子に座れないくらいに忙しく、今とは比べ物にならないくらいスリムな体系(笑)
なんて言うと「いいこと」のようですが、その頃(10年前)の私の肌は今よりも数倍衰えていました。
「化粧ノリが悪いってこのことなのね」と実感。
肌はボロボロ、毛穴は開く、小じわもたるみもすごかった。
自分の肌のことを考える余裕なんて皆無。
仕事の責任も重圧も人一倍。
不登校相談や教室を荒れさせる子どもが出るとすぐに小学校・幼稚園に飛んでいきました。
家に親が帰ってこない家があれば、必ず自分の足で家庭環境を見にいきました。
私は、机上の仕事ではなく、現場に足を運ぶ仕事をしていました。
その頃、あまりにも体がツラくて現在私がカウンセラーとして勤務している船戸クリニックを受診しました。
そしたらね、「手術後の回復期の人用の漢方」を処方してもらいました。
それくらい疲れ果てていました。
で、私は「もう、これ以上は無理」と思って教育委員会も学校勤務を退職することにしました。
そして、自分の子どもをしっかりと見たいと思ったのです。
退職するその日まで猛烈に忙しかったので、就活なんか皆無の状態で退職しました。
また、つづき書きますね。
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